照桑福祉会は農繁期に地域の幼い子が池に落ち、命を落としてしまった痛ましい出来事が、もう二度とおこらないようにと祈り、お寺でその子どもたちの命をあずかり守ろうということからはじまりました。
今もなお60年以上の歴史の中でその精神は受け継がれ、今も変わらずに子ども達の命をあずかりまもる思いは続いています。
玉里保育園が創立して五十年を平成二十一年十月一日、迎えることが出来ました。皆様方の御励まし、ご協力の賜物であります。誠にありがとうございました。長い道のりでありました。
園主・戸田見誠(照光寺住職第37世)、初代園長・戸田マス子(妻)、そして、伊藤由美子(旧姓戸田、見誠の次女)の三人が苦難の中から地域における幼児の保育・教育の信頼を作り上げてきた道は遠い昔のことになりました。
創立当事者、父・戸田見誠もこの世を去ってまもなく30年。母・戸田マス子が逝って13年、ただ一人、姉・伊藤由美子も七十路に近くなりました。その当時を知る人も少なくなりました。
そこで、五十周年にあたり、その当時を記録に残しておきたいと存じ、先駆者であります父と母の日記や残した資料、姉の感想やおもいでなどを整理して、保育園設立の原点を知ることも大切な意味があろうかと、記念誌発行を計画いたしました。
まず、父や母の生きた道筋をひもとき、どうして保育園が創設されていったのか、地域の人々にどのように受け入れられていたのか、知ることができればと創立当時と五十年の前半を中心に振り返りたいと思います。
その当時の子供たちが置かれている状況を「これではいけない。命を大切に育てなければならない」という父や母のその一念が、多くの方々の理解を深めていったことと思います。
その当時の寺の総代、世話人、檀信徒、婦人会会長故羽鳥千代様、民生委員の方、社会教育委員の方、玉里村長・故野口一様はじめ村の役場の方、議会議長・故遠藤栄二様、議員の皆様、近隣町村の民生委員の方、近隣の寺院、土浦福祉事務所の故住田恵孝様、こぞってこの設立に協力をして下さり、公の心を以って推進されたのです。今は亡き人が多い中、それぞれの方に感謝申し上げる次第であります。
そして、この園を卒園されていった園児の保護者の方、卒園児の皆さま方が園に対してお励まし下さったこと、ご協力を下さったこと、園の発展は皆様のお力添えの賜物であります。又この度おもいでの文を多数お送り下さって、ありがとうございました。
前衆議院議員・丹羽雄哉様、小美玉市長・島田譲一様の御祝のお言葉を頂き、お励ましの言葉と肝に銘じこれからも法人一同、施設一同満身励んでまいります。
この50周年記念事業に対してお心お寄せくださいまして、保育園関係者、地域の皆様、誠にありがとうございました。