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Our vision
子どもたちと、働く先生たちの
明るい未来のために

私たちの仕事は、子どもたちの明るい未来のため
その人生の始まりである重要な時期に、全身全霊で力を注ぐこと。
そのことがきっと、その子の人生を豊かにすると信じています。

私たちはこの想いに共感する、子どもへの熱意溢れる仲間を必要としています。
皆さんが子どもたちに全力で向き合えるよう、
ワークライフバランスの整った職場づくりにも力を入れております。

子どもたちと、そしてあなた自身の明るい未来のために。
ぜひ照桑福祉会で一緒に働きましょう。

卒園児からの手紙 〜子どもたちの成長がつなぐ「絆」〜

施設を卒業した子どもたちがお祭りやイベントに遊びにきてくれたり、親となった卒業生の子どもが入所するなど、世代を超えてつながっていく「絆」は、照桑福祉会ならではの風景です。これからも地域に根ざし、地域で愛される施設を運営してまいります。

今度は先生になった
私の番

引っ込み思案で泣き虫だった私をぎゅーっと抱きしめてくれた先生がいたことは、これからも忘れないと思います。大人になった私は保育園の先生になりました。今度は私が子どもたちをぎゅーっとする側です。

(1990年代卒園)

いつも優しく
迎えてくれた先生

父の自転車の後ろに乗せられ、泣きべそをかきながら登園していた私をいつも先生が優しく迎えてくれました。私の結婚が決まったとき、風の便りを聞いた当時の先生が喜び懐かしんでくださったことを知り、感無量でした。

(1960年代卒園)

達成感が今の自分を
支える大きな糧に

忘れられないのがマーチングフェスティバル。大喝采の拍手の中戻ると、熱心に指導してくれた先生と見守ってくれた両親の目には光るものが。このときの達成感は自信につながり、大きな糧となって今の自分を支えてくれています。

(2000年代卒園)

一期生として過ごした
思い出の半年間

最初の園児として小学校入学直前の半年間を過ごさせていただきましたことが、大変懐かしく思い出されます。当時は、照光寺本堂が保育室でした。先生方はいつも笑顔で優しく私たち園児に接してくださいました。

(1960年代卒園)

私の夢は
あの頃からずっと…

私は決していい園児ではなかったと思います。それでも、私の夢はあの頃からずっと“保育園の先生になること”。私は大学を卒業し、その夢を叶えました。先生になりたい、と思わせくれた当時の先生のおかげです。

(1960年代卒園)

私という人間の
基礎になっている

鼓笛隊の練習は厳しくもありましたが、幼いなりに一生懸命頑張って、本番の大舞台で大きな達成感を味わい、自信になりました。幼いあの時期に保育園で学んだことは、私という人間の基礎になっているように感じます。

(1980年代卒園)

たくさんの思い出が
詰まった保育園

暑い夏がやってきて、組み始まったやぐらを見ると、色とりどりの浴衣を着て友達と歩き回った盆祭り大会を思い出します。今振り返ると色々なことを経験させてくれた、たくさんの思い出が詰まった保育園です。

(2000年代卒園)

とんでもない
問題児の私にも

私の保育園時代といえば、随分身勝手な振る舞いをしたことばかりを思い出します。今ならばとんでもない問題児で、退園にも値する子どもだったと思います。それでも忍耐強く接してくださった先生方には感謝でいっぱいです。

(1970年代卒園)

ちょっぴりお姉さんに
なったようで

お揃いの帽子にチェックのかばん、胸にかっこいいマークのついたブレザー。これが保育園の制服です。子どもながらにちょっぴりお姉さんになったようで、とても嬉しかったのを覚えています。

(2000年代卒園)

※50周年記念誌より一部抜粋

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